みなさん、こんにちは。
築50年のボロ屋に住んでいるトモカズです。
今回の記事ではボロ屋に住んでいることは恥ずかしいことなのか、そうではないのかを私の主観ではありますがお話ししてみようかと思いますので、参考にしてみてください。
結論から申しまして、「人の目を気にしなければ恥ずかしくない」です。
恥ずかしいかどうかの感情は人からどう見られているかを考えたときに出てくるものです。
ですので、自分の中で「別に恥ずかしいことではない」と考えているならその通りなのです。
周りの家と自分の家を比較してしまい、「ウチはなんて古いんだ・・・・・」のように周りの目を気にし始めてしまうと恥ずかしさを感じてしまうことでしょう。
私がボロ屋を恥ずかしくないと思っている理由
1つ目:地域性
私の住んでいる地区では、私の住んでいる家と同年代に建てられた家が数多く残っています。
家の中の状態まではわかりませんので、ボロいのかそうでないのかは不明ですが、見た目は同じような感じの佇まいです。
「木を隠すなら森の中」とはよく言ったもので、同じような家が周りにあればそんなに気にはなりません。
ただ、最近は建て直される家もあったり、田畑が潰され宅地になるなどしていて新しい家に置き換わってきています。
2つ目:生活環境
私自身が独身ですので、親同士のつながりや、子ども同士のつながりが存在していません。
それによって人の目を気にしなければならないシーンに出会うことがありません。
家庭を持てるくらいの収入があったとしたら、この家からは出ていたかもしれませんね。
「人からどうみられているか」を感じてしまうようなことが発生したら、恥を感じていたかもしれません。
3つ目:思い出が詰まっていること
生まれてからずっと住み続けた自宅です。
良かったことも悪かったこともいろいろな思い出が詰まっていて愛着も湧いています。
突然この家を手放さなければならないとかなってしまうと、心の整理が追いつきません。
恥ずかしくはないけれども、新しい家に憧れはある
ボロ屋に住んでいること自体は恥ずかしくはありませんが、時々劣等感を感じることはあります。
それはやっぱり新しい家に憧れがあるからです。
自分自身の力では今の所どうすることもできないお金の問題に直面していることから、無力感や劣等感が湧いてきます。
そのような感情が湧いてきますと、ボロ屋に住んでいることも自分自身で負い目を感じてしまい心が貧しくなります。
周りの新築の家とずっと住んでいる古い家を比較することによって現実を突きつけられます。
家を買うお金があっていいな。
家を建てるお金があっていいな。
家をリフォームするお金があっていいな。
そんなところから始まり、行き着くところは「うちにはお金がないから」です。
「お金がない」ということをずっと思い続けていると、いつしか心まで貧しくなってきてしまいます。
そして自分自身の立ち位置を自分で下げてしまいます。
住んでいる家がどうであろうと、自分自身の存在を下げる必要はありません。
私自身が自己肯定感が低いために起こってくる感情かと思います。
できる範囲で、可能な限り精一杯生きているのでそんなこと思わなくてよいのですけどね。
周りと自分を比較してしまうと、「本音はいいお家に住みたいです。」が出てきます。
もし人付き合いがあったらボロ屋に恥ずかしさを感じていただろうか?
その答えはYESです。
持って生まれた性格も関わってくることですので、人によってはNOの方もおみえになると思います。
ですが、私自身は人目を気にしてしまうタイプですので、今この現状の家で人付き合いが必要なケースが出てきた場合「恥ずかしい」と感じることでしょう。
今、私自身がボロ屋に住んでいて恥ずかしさを感じていないのは、「人を家に招く機会がない」ということも大きな理由の1つだと考えてします。
一般的に次のようなケースでボロ屋に恥ずかしさを感じるようです
子どもの場合
「友達の家は綺麗でオシャレなのに、なんでウチは古くて汚いの?恥ずかしくて友達呼べないじゃん!」
と言われてしまうことがあるようです。
特に女の子が顕著かもしれません。
経済的な豊かさが家に出てしまうことも往々にしてあるでしょう。
友達の家と比べてしまうと、自分の家がみっともないと感じてしまいます。
親目線としては家族の生活を守るために、子供の成長のために、生活コストの比重を家ではなく子どもに向けたということなのです。
親としては1つの正しい判断だと思いますが、子どもにはなかなか伝わらないかもしれません。
なんとか楽しく暮らしていける方法を画策するしかありません。
親としてはなかなか辛い立場です。
子どもが恥ずかしさを感じてしまっているという事実を受け止めながらケアをしなければなりません。
彼氏や彼女を連れて実家に挨拶に行きたい
- 付き合っているパートナーの実家はとても素敵だった。
- 自分の実家はボロ屋だけれど、そんなところに連れて行ってもいいのだろうか?
- 家柄とかで判断されてしまって破談になったりしないだろうか。
- それよりもまずそんな家を見られてしまうことが恥ずかしい。
などの心配事が頭をよぎります。
いいところを見せたい、かっこいいところを見せたい。
付き合っている相手にはなるべく良い印象をもってもらいたいと思うのが普通のことです。
「どう思われるだろう?」を気にしてしまうのは当然です。
と言ってもその家であなたは育ってきたわけですし、両親も必死に頑張って生活を守ってきたということの表れです。
そういう思い出がたくさん詰まった家だとういうことです。
それらを受け止めてくれるお相手でしたら素敵ですし、お二人で新しい暮らしを築いていかれるのがベストかと思います。
保護者同士のつながりの中で
- 知り合いの夫妻が新築でおうちを建てられて羨ましい。
- ママ友同士のお茶会をうちに招いて開きたいが、こんなボロ屋では招待できない。いつも相手のお宅にお邪魔させていただくばかり。
など、親同士のつながりの中で「見栄」のような感情が働いてボロ屋であることを恥ずかしく思うことがあるようです。特に女性の方が気にされるケースが多いようです。
最近は結婚して、子どもができる前や子どもが幼いうちに新築で家を建てる方、買う方が多く、そういった場合は「同じような家庭どうしの輪」に入ることができます。
ですが、そんな裕福な家庭ばかりではありません。
家庭ごとに経済状況はさまざまです。
親から受け継いだ家に住んでいる場合や同居していることもあるでしょう。
中古物件を購入して住んでいる場合もあるでしょう。
それぞれがそれぞれのできる選択をして生活を守っているのです。
精一杯頑張って暮らしているので「恥ずかしい」と考えることは本当はあってはいけないと思います。
ですが、「人目を気にしてしまう」と、どうしても恥ずかしいと感じることもあるようです。
まとめ
今回の記事ではボロ屋に住んでいることが恥ずかしいことなのか、そうでないのかについて書いてみました。
本来はどこに住んでいようとも恥じることなど何一つないはずなのですが、「他人の目を気にしてしまう」という気持ちの働きが起きると「恥ずかしさを感じる」ことの原因であることが分かりました。
もちろん新しい家に住むことは気分がいいと思いますし、私自身もそこに憧れてしまいますが、まずは今の暮らしをしっかり地に足をつけて守っていくことも大切ですので、負けずに頑張っていきましょう。